静坐の友(季刊誌)

第16号 よき師との出会い 西湘静坐会 岡野 幸生 氏

 出会うところのあらゆる事物が我が師と悟る人、ある機縁に触れ、独り悟る独覚の人、これらよほどの天才的素質の方は別格として、平凡人にとっての信仰の道に入るのには、やはりよき師に遭り会うかどうかによるのではないでしょうか。

 古くからの静坐人はご存知の方もおられると存じますが、戦後食糧難の時代、岡田先生御遺族を支援され、岡田先生ののお孫様の虎雄様と妹の美子様のお二人を長年お世話なされた愛知県田原市の河合貞様(明治三三年生〜平成十四年満百二才御逝去)も、岡田虎二郎先生が御郷里への御指導に来られ、豊橋駅前の岡田旅館に御宿泊、同館での三日間の御指導・御講話が、当時二十才であった河合様の御一生を決定づけ、以来、静坐一筋のゆるぎない信仰を持たれ、御自身は〝静坐の童子〟とおっしゃって、清らかな御一生を送られました。

 又富山静坐会を主宰されておられる新木富士雄先生(現北陸電力相談役)は東京勤務のお若い頃、柳田二郎先生御指導の東京静坐会で熱心に坐られ、私も同会で御一緒のご縁で今でも別懇にしていただいて居ります。

 新木先生は当時、柳田先生に〝静坐で一番大切なことは何でしょうか?〟とうかがったところ、柳田先生は〝それは信の一字である〟との御教示を受けられ、以来静坐の信を深められ、一層御精進なされたとうかがって居ります。

 親鸞聖人(一一七三年〜一二六二年、鎌倉前期の浄土真宗開祖)は『歎異抄』の中で〝親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひと(=法然上人)のおほせをかぶりて、信ずるほかに別の仔細なきなり、念仏は、まことに浄土に生まるるねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、総じてもちて存知せざるなり。たとい法然上人にすかされまひらせて、念仏して地獄へおちたりとも、さらに後悔すべからずさふろう〟そこまでの信頼を親鸞聖人は師、法然上人に寄せられておられます。よき書物に出会い信仰を持たれることも有りましょうが、やはり実際に良師にお会い出来、信仰の眼、法の眼を開かせていただくことが出来るよき因縁は誠に得がたき幸運と思います。

 私も四十数年前、まだ静坐にご縁の浅い頃京都静坐社をお訪ねし、静坐会に参坐、坐後応接室でベッドに坐っておられた小林信子先生が参坐者お一人、お一人を近くに呼ばれ、姿勢をみて下さいましたが、小林先生は当時お目が悪く、私に〝横山先生!〟とおっしゃるので〝東京からまいりました岡野です〟と申し上げましたら、私のお腹をさすって下さり、〝ご病気はないわネ。静坐のご縁があって本当にお幸せです〟とおっしゃって下さいました。私は当時は若く、小林先生のお言葉の意味を深くは理解できませんでしたが、だんだんと静坐の道を歩んで来て、静坐にご縁があって本当によかった。恩師柳田誠二郎先生のお教えをいただき有難いことであったと近年増々その思いを深くしている次第です。