静坐の友(季刊誌)

第15号 座敷牢 長廻 紘 氏

 日本にはその場の「空気(山本七平)」というものがあり、その空気は大きな逆らえない壁として立ち塞がる。「わたしは反対でしたが、空気には逆らえませんでした」という言葉が免罪符となる。まあ違った考えと分かっても反論できない。反論すると座敷牢に入れられる。しかし、そんな空気には感染しない相手には粗末な考えの欠点が丸見え。レーダーが存在することは分かっていたはずである。日本でも研究していたのだから。こちらの動きを知らないはずの敵から不意打ちを食らえば、敵はレーダーを実用化したと分からなければいけない。敵がレーダーを開発したことを無かったことにして、同じような行動をとり同じような負け戦を繰り返した。実力不足を自覚している者は、相手が見ていない、知らないという条件下ではじめて対等になることを、薄々わかっている。だからであろう、見られるはずがないという自己暗示をかけなければ戦えない。

 個人的に見ないということがあるように、大きな組織全体として見ない、見なかった、無かったことにしようということがある。起こっては困ることは起こらない。ひどいのは、起こっているのが見えているのに無かったことにする。

 日本人はあれほどの、身の丈以上の大戦争をしたのだから、その欠点すべてをさらけ出してしまった。まず、誰も開戦・敗戦の責任は自分にあると言わない「無責任の体制」であった。いまも同じ。日本人を知りたければ第二次世界大戦に関する情報を集めればよく分かる。分かりすぎて怖い、日本人であることを止めたくなる。危機が来るとまた同じようなエラーを繰り返すのは目に見えている。ニーチェが言ったように、狂気は個人においては特殊だが、集団においては通例である。歴史上、集団狂気や集団ヒステリーの例は沢山ある。いちいち挙げることもないが、近いところではドイツでのユダヤ人抹殺、ロシアやカンボジヤでの強制収容所など。牢に入れられたものが狂っているのか、入れたものが狂っているのかよくわからない。少なくとも空気が読めない、ただそのために座敷牢入りした人たちは多い。一般社会でもひところKYという言葉を貼り付けて、なんとなく疎んじられた人たちがいた。もちろん今もいる。その多くはなんとなくけむったい人であるに過ぎない。

 東北大震災の原発事故は不幸な事故ではあったが、日本だからあれだけになったのもまた事実である。一〇年も前に原発の危険性を叫んでいたわたしの友人で東電の幹部であった某は座敷牢(本人の弁)に入れられて発言を封じられた。事故後の現在においてすら原発の危険性を大声で叫ぶ人は同じように仮設座敷牢あつかいである。皆が酔っているとき、一人覚めていると居心地が悪い。一緒に酔ったふり、見て見ぬふりをするか騒いで座敷牢に入るかである。

・『雑然草』から抜粋
(東京女子医大名誉教授)